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宇都宮地方裁判所 昭和45年(行ウ)1号 判決 1982年2月18日

原告 加藤藤一 外一名

被告 栃木県収用委員会

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一申立て

一  原告ら

1  被告が昭和四四年一〇月一六日付けで原告らに対してした別紙目録記載の内容の権利取得及び明渡しの裁決(以下「本件裁決」という。)を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決を求める。

二  被告

主文と同旨の判決を求める。

第二主張

(原告らの請求原因)

一1  被告は、訴外栃木県益子町町民センター建設事業の起業者である同町からの昭和四四年六月一七日付けの土地収用裁決の申請に基づき、同年一〇月一六日付けで本件裁決をした。

2  原告加藤藤一は、当時本件裁決の対象となつた別紙目録記載の栃木県芳賀郡益子町大字益子字鍛治久保五二一九番畑(現況宅地。以下「本件土地」という。)の所有者であり、原告加藤悦夫は、同藤一から、知事の許可を受けることを条件として本件土地を買い受けていた者で、本件土地を収用する場合におけるいわゆる関係人である。

二  本件裁決は、次の事由により違法である。

1 (本件土地の面積について)

被告は、本件土地の実測面積は五六・〇七平方メートルであるとして本件裁決をしたが、原告らが昭和三八年五月ごろ実測したところによれば、その面積は約一〇〇平方メートルであつた。したがつて、本件裁決は、対象たる土地の面積について重大な誤りを犯しており、違法である。

2 (土地収用権の濫用)

(一) 原告藤一は、従来から本件土地を畑地として耕作してきたが、本件土地を含む一帯の地域に益子町の町民センターが建設されるという話を聞き、昭和三七年六月ごろから同町に対し、将来の本件土地の買収等について善処方を申し入れてきた。ところが、同町は、原告らに対し何の連絡もしないまま、昭和三九年始めごろから、町民センター建設用地の買収手続を開始した。

(二) そこで、原告らは、直ちに益子町に対し、右買収手続につき異議の申入れをしたが、何の応答もないまま町民センター建設用地の整地作業が実施されてしまつたので、昭和三九年五月一八日及び同年一一月一三日の二回にわたり、改めて同町の町民センター建設事務担当吏員に対し、本件土地の買収手続を速やかに実施するよう直接申し入れた。同町の担当吏員は、その都度原告らに対し、速やかに善処する旨を約した。

(三) 益子町は、その後も何らの措置も講じないままであつたが、昭和四〇年一月二四日になつて、町民センター設立委員長を介して原告らに対し、本件土地の代替地を提供する旨の解決案を提示した。原告らは、右解決案につき直ちに承諾し、同町に対しその履行を求めていたところ、同年二月一九日、右町民センター設立委員長は、右解決案を白紙撤回する旨を表明した。

(四) その後、益子町は、同年五月四日第三者を介して原告らに対し、前回とは別の代替地を提供する等新たな解決案を提示したので、原告らは前回同様直ちにその案を承諾したにもかかわらず、同町は、同月八日またもや右解決案を破棄してしまつた。

(五) 益子町は、以上のとおり原告らの本件土地についての再三の異議の申入れを無視して町民センターの建設工事を遂行し、自らの解決案を一方的に破棄するという不法、不当な態度を示し続けてきたのであるが、更に、昭和四一年一〇月、関東財務局宇都宮財務部に対し、本件土地が国有地であると申告してその旨の登記をさせ、その払下申請をするに及んだが、原告藤一の異議申立てにより、右のとおりいつたん経由された国有地としての登記は抹消された。そこで、原告藤一は、その後の同町の対応に全く誠意がみられないので、やむを得ず昭和四四年四月八日真岡簡易裁判所に対し、本件土地について建物収去土地明渡等の訴訟を提起したところ、同町は、前記一の1記載のとおり本件裁決の申請をした。

(六) 以上の事実からすれば、本件裁決は、益子町がそれまでの原告らとの交渉過程における自らの不法行為を隠す目的で土地収用法(以下「法」という。)を利用し、本件土地の取上げを企図したのに協力したものというべきである。このような本件裁決は、真に公益目的のためのものではなく、土地収用権の濫用である。

3 (損失補償について)

本件裁決は、本件土地の権利取得の対価を著しく安く定めており、その額はとうてい正当な補償ということはできないから、財産権を保障した憲法二九条及び適正手続を保障した憲法三一条に違反する。

三  よつて、原告らは、本件裁決の取消しを求める。

(被告の答弁)

一  請求原因一の各事実は認める。

二1  同二の冒頭の主張は争う。

2  同二の1について

本件裁決において本件土地の実測面積を五六・〇七平方メートルとしていることは認め、原告らが昭和三八年五月ごろ実測したことは不知、その余は否認する。

3  同二の2について

(一)の事実のうち、昭和三九年始めごろ、益子町が町民センター建設用地の買収をしたことは認めるが、その余は否認する。(二)ないし(四)の事実はいずれも否認する。(五)の事実のうち、関東財務局宇都宮財務部が本件土地を国有地として登記したこと、同財務部が原告藤一の異議により右登記を抹消したこと、同原告が昭和四四年四月八日真岡簡易裁判所に益子町を被告として本件土地の明渡しを求める訴えを提起したこと及び同町が請求原因一の1記載のとおり本件裁決の申請をしたことは認めるが、その余は否認する。(六)の主張は争う。

4  同二の3について

否認する。

(被告の主張)

一  本件裁決までの経過

1 益子町においては、従来から児童福祉施設及び総合運動施設がなく、これらの施設の建設が地域住民の熱望するところとなつていた。そこで、同町は、社会教育法二一条、児童福祉法四〇条及びスポーツ振興法三条の規定に基づき、公民館、児童館等の福祉施設及び体育館、野球場等の総合運動施設を集団化した町民センターを、広く地域住民の利用に供する目的をもつて建設する計画を進めることとなり、昭和三六年一二月ごろから町民センター建設の構想を練り、同三七年六月七日、これを同町議会に発表するとともに、その建設用地の選定を開始した。その結果、益子町大字益子字鍛治久保地内の土地がその候補地となり、益子町は、同月下旬から同地内の五九筆の土地の地権者との協議を重ね、ほぼその協力が得られる見通しがついたので、同三八年三月二一日、これを同町議会に諮り、町民センターの建設が本決まりとなつた。

2 そこで、益子町は、その敷地の買収交渉を進めるに当たり、宇都宮地方法務局益子出張所に至る各土地の公図及び登記簿謄本と現地とを照合調査して、各土地の地番、地目、地積及びその権利者を確認した。その結果、本件土地は、その地番は公図上のいずれにも記載がなく、また、その該当する区域は無番地の青地となつており、しかも、現地の状況は、耕地と耕地との間の約五平方メートルの緩やかな斜面で雑草が茂りいわゆる国有畦畔の様相を呈していた。そのため、同町をはじめ本件土地の隣接所有者、本件敷地の地権者の代表者等を含め、これが国有地であることを疑う者は誰一人としていない状況であつた。このようにして、同町は、右地域内に本件土地が存在することを全く知らないまま、昭和三八年一二月一日までに関係土地すべての買収につき地権者の承諾を得たため、同三九年二月四日同地域の整地工事に着手し、その後数日をして本件土地付近一帯の原形は全く滅失した。

3 ところが、町民センターの建設工事のうち、児童館、プールが完成し、陸上競技場及び野球場も九分どおり工事の進んだ昭和三九年八月一五日、突然、原告悦夫から、益子町の町民センター建設工事事務担当吏員に対し、本件土地がその敷地内に存在し、未買収である旨の申入れがあつた。そこで、同町は、直ちに本件土地の調査をしたが、原告らから本件土地の地番、地積又は位置等について何の指定もなく、本件土地の存否を確認することができなかつた。その後も同町は、原告らと折衝を続け、本件土地の調査を行つてきたが、本件土地の存在が確認されないまま、昭和四〇年三月二九日町民センターは完成した。

4(一) ところで、右のとおり完成した本件町民センターの敷地内には、合計約二四〇〇平方メートルの国有畦畔等があり、右国有地の払下手続は、昭和四一年六月ごろから益子町と大蔵省関東財務局宇都宮財務部との間で開始されたが、その際同町は、本件土地が国有地であることにいささかの疑いも持たず、また、右宇都宮財務部も、本件土地の該当区域が公図上無番地の青地であり、過去に払下げがされた形跡も見当たらなかつたためこれを国有地と判断し、同年一〇月一七日、宇都宮地方法務局益子出張所に対し大蔵省名義で土地表示登記を嘱託し、これが受理された。

(二) ところが、その後昭和四二年一〇月ごろになつて、原告悦夫から、右宇都宮財務部に対し、本件土地は原告藤一の祖父が明治二一年に払下げを受け、現在原告藤一の所有となつている旨の申入れがあつた。そこで、右宇都宮財務部は、原告らの払下証書等の資料に基づき調査したところ、原告悦夫主張の本件土地が原告藤一の所有であることが判明したため、昭和四三年四月二二日、本件土地が国有地である旨の登記の抹消を宇都宮地方法務局益子出張所に嘱託し、次いで同年六月六日、原告藤一が本件土地の地番を公図上に表示するため地図訂正を申し出、これらが受理されて初めて本件土地の所在が明確となつた。

5 その後、益子町は、本件土地の買収のため、原告らとの間において、代替地の提供等を含め誠意ある交渉を重ねてきたが、原告らは不当な要求を繰り返すのみで何ら交渉の進展がみられず、更に、昭和四四年四月八日、真岡簡易裁判所に対し、原告ら主張のとおりの訴訟を提起したので、ついに、同町は、公益維持のため、法の適用を決意し、同年六月一七日、本件裁決の申請をしたものである。

二  本件土地の面積について

本件裁決において本件土地の実測面積は五六・〇七平方メートルとなつているが、これは、本件土地の土地調書が作成された昭和四四年六月一六日には、既に本件土地の原形が全く滅失していたため、益子町が、宇都宮地方法務局益子出張所備付けの公図を参考とし、これに近傍地の公図面積に対する実測面積の平均なわ伸び率等を勘案して、まず本件土地の位置、形状を確定し、これを実地に測量して得た面積を本件収用面積として本件裁決の申請をしたのに基づくものであるが、被告も、これを正当なものと認定して、本件裁決をしたのである。

なお、本件土地の登記簿上の地積は二六平方メートルであり、原告らは、昭和四三年八月二四日、本件土地の地積を五七平方メートルと更正するため土地地積更正登記を宇都宮地方法務局益子出張所に申請したが、右申請は事実不確認の理由で却下された事情もあり、本来本件土地の面積に関する原告らの主張には根拠がなく、この点から本件裁決を違法とすべき理由はない。

三  本件事業の公益性

本件町民センターは、前項1記載のとおり、広く地域住民の福祉に寄与する目的をもつて益子町が設置したものであつて、その公益性は大である。すなわち、本件町民センターは、(1)地域住民の教養の向上、健康の増進、情操の純化を図り、生活文化の振興、社会福祉の増進に寄与し、(2)児童が心身ともに健やかに育成愛護され、(3)地域住民の心身の健全な発達と明るく豊かな国民生活の形成に寄与することを目的とするものであり、その実績としても、本件町民センター完成後その利用者は、毎年一〇万人を超えているものである。

四  損失補償について

原告らは、被告委員会の審理において、本件土地の損失補償については何らの意見もない旨陳述したので、被告は、法四八条三項の規定にのつとり、益子町の見積補償額を本件土地の補償額として本件裁決をしたのであつて、いまさら原告らがこの点について異議を申し立てる理由はない。

五  以上のとおりであつて、本件裁決の申請は、町民センターの建設という事業の維持継続を図るために真に公益上の必要性に基づくものであり、また、益子町が本件土地を未買収のまま町民センターの建設工事を施行してしまつたことについても悪意がなかつたことはもちろん、善良な管理者の注意義務も怠つていないものであつて、本件裁決を違法とすべき理由はない。

(被告の主張に対する認否)

一  被告の主張一について

1の事実は知らない。2の事実は否認する。3の事実中、昭和三九年八月一五日、原告悦夫から益子町の町民センター建設事務担当吏員に対し主張のような申入れをしたこと及び昭和四〇年三月二九日ごろ本件町民センターが完成したことは認めるが、その余は否認する。4の(一)の事実は知らない。4の(二)の事実中、原告らが宇都宮財務部に払下証書を持参したことは認めるが、その余は否認する。5の事実中、原告らがその主張のとおり真岡簡易裁判所に訴訟を提起したこと及び益子町が本件裁決の申請をしたことは認めるが、その余は否認する。

二  同二の事実中、本件土地の登記簿上の地積、原告らがその主張の日に地積更正登記の申請をしたこと及びこれが却下されたことは認めるが、その余は争う。

三  同三の事実中、本件町民センターの利用状況の実績については知らないし、その余は否認する。

四  同四は否認する。

五  同五の主張は争う。

第三証拠<省略>

理由

一  請求原因一の1及び2のとおり、被告が、本件町民センター建設事業の起業者である益子町からの昭和四四年六月一七日付けの申請に基づき、同年一〇月一六日付けで本件裁決をしたこと、原告藤一は、当時、本件土地の所有者であつたこと及び原告悦夫は、同藤一から知事の許可を受けることを条件として本件土地を買い受けていた者であり、本件土地を収用する場合におけるいわゆる関係人であることについては、当事者間に争いがない。

二  そこで、本件裁決が違法であるか否かについて判断する。

1  本件土地の面積について

(一)  本件裁決において、本件土地の実測面積は五六・〇七平方メートルとして処理されていること及び本件土地の登記簿上の地積が二六平方メートルであり、原告らは、昭和四三年八月二四日、これを五七平方メートルと更正すべく宇都宮地方法務局益子出張所に土地地積更正登記を申請したが、右申請は事実不確認の理由で却下されたことは、いずれも当事者間に争いがない。

(二)  ところで、原告らは、本件土地の実測面積は、実際は約一〇〇平方メートルである旨主張する。

しかしながら、右(一)の当事者間に争いのない事実及び後に掲げる各証拠によれば、本件裁決に先だつて本件土地の土地調書が作成された昭和四四年六月一六日には、後記認定のとおり既に本件土地の原形が全く滅失していたため、益子町は、宇都宮地方法務局益子出張所備付けの公図を参考とし、これに近傍地の公図面積に対する実測面積の平均なわ伸び率等を勘案して、まず本件土地の位置、形状を確定し、これを実地に測量して得た面積をもつて本件収用面積としたこと、また、本件土地の土地調書及び物件調書の作成にあたつて、原告らは、法三六条三項所定の異議を何ら留めなかつたことが認められ、これらの事実を総合すれば、本件土地の収用面積の算定には何ら瑕疵はなく、本件裁決どおりの本件土地の実測面積は正当なものであると認めることができる。右認定に反する証人谷島新八郎及び原告悦夫本人の各供述は信用できない。

よつて、原告らの右主張は理由がない。

2  土地収用権の濫用の主張について

(一)  益子町は、昭和三九年始めごろから町民センター建設用地についての買収手続を開始したところ、同年八月一五日、原告悦夫から、同町の町民センター建設事務担当吏員に対し、本件土地がその敷地内に存在し、それが未買収である旨の申入れがあつたこと、本件町民センターは昭和四〇年三月二九日に完成したこと、同町は、昭和四一年一〇月、関東財務局宇都宮財務部に対し、本件土地が国有地であると申告してその旨の登記手続を執らせ、その払下申請をしたが、原告藤一の異議申立てにより右のとおり経由された国有地としての登記はその後抹消されたこと、原告悦夫は、昭和四二年一〇月ごろ、関東財務局宇都宮財務部に対し、原告藤一の祖父が明治二一年に本件土地の払下げを受けたことを示す払下証書等を持参したこと、同原告は、昭和四四年四月八日、真岡簡易裁判所に対し、本件土地について建物収去土地明渡等を求める訴えを提起したこと、そこで、同町は、被告に対し、前記一のとおりの本件裁決に係る申請をしたことは、いずれも当事者間に争いがない。

(二)  更に、成立に争いのない甲第一、第六、第七号証、第一一号証の一・二、第一二、第一三号証、第一四号証の一ないし四、第三〇号証の一ないし四、乙第二、第四号証の各一・二、第六号証の一ないし六、公図の検証の結果並びに証人山本平吉、同薄羽芳弘の各証言及び原告悦夫本人尋問の結果(ただし、後記の信用しない部分を除く。)を総合すれば、次の各事実を認めることができ、これに反する証人谷島新八郎、同矢口鉄男、同井野敏郎及び原告悦夫本人の各供述部分は、前掲の各証拠に照らして、いずれも信用することができない。

(1) 益子町においては、後記認定のとおりの目的をもつて町民センターの建設計画を進めることとなり、昭和三七年七月、右計画の構想を町議会に発表するとともに、その後、その建設用地の候補地となつた同町大字益子字鍜治久保地内の地権者等の関係者と協議を重ねた。そして、同町においては、予算面等関係各方面の協力も得られる見通しがついたので、昭和三八年三月二二日、これを町議会に諮り、町民センターの建設が本決まりとなつた。

(2) そこで、益子町は、昭和三八年四月以降その建設予定地の買収交渉を進めるに当たり、同町備付けのいわゆる公図で買収対象となる各土地の地番を、同じく土地台帳でそれぞれの権利者を割り出すとともに、あわせて、宇都宮地方法務局益子出張所において、各土地の公図等を照合調査して、それぞれの地番、地目、地積及び権利者等についての確認作業を実施した。ところが、本件土地については、同町及び法務局益子出張所にそれぞれ備付けのいずれの公図上においても地番の記載がなく、また、該当する区域は無番地の草色地又は青色地となつていて、予定地域内に本件土地が存在することを全く知り得ない状況であつた。このような状況の下で、益子町は、同年一二月一日までに右のとおりの確認作業を終えたすべての土地の買収につき、各地権者の承諾が得られたため、昭和三九年に入り、前記(一)のとおり買収手続を始めるとともに、同年二月四日には、町民センターの建設工事に着手した。

(3) これに対して、その敷地内に従前から本件土地を所有し、当然に、町民センター用地の一部として益子町から買収交渉の話があるものと考えていた原告らは、交渉のないまま町民センターの建設工事が開始されたため、そのころから周囲にはその不満を明らかにしていたが、町民センターの建設工事もかなり進んだ昭和三九年八月一五日、前記(一)のとおり同町の当局者に対して異議の申入れをした。そこで、同町では、同月一八日、関係者を集めて調査の上、協議をしたが、原告らが申し入れてきた五二一九番という地番の土地は、前記いずれの公図上にもその記載を発見できず、また、建設中の町民センターの敷地内に多数のいわゆる青色地(無番地の土地)が存在していたものの、原告らが申し入れてきた本件土地の地番が五〇〇〇番台であるのに対し、同敷地内の土地の多くが三〇〇〇番台であることから、原告らが主張する本件土地が同敷地内に存在すると考えるのは困難であり、しかも、原告らから本件土地の所在についての具体的な説明がなかつたために、本件土地の存否を確認することができなかつた。

(4) しかし、益子町としては、原告らとの話合いにより通常の買収手続によつて円満解決を図りたいと考えた。そこで、同町は、昭和三九年終わりごろから昭和四〇年始めにかけて、原告らとの間で、代替地を提供するという方向で話合いを重ねたが、附帯条件について合意に達することができず、また、依然として本件土地の所在の確認もできないまま、前記(一)のとおり同年三月二九日、町民センターの建設工事は完成した。

(5) その後、益子町と関東財務局宇都宮財務部との間で、年次計画の青色地整理に伴い町民センター敷地内の畦畔等の国有地払下げの手続が、昭和四一年一月から三月にかけての実態調査に基づいて進められたが、本件土地である三六七五番先の青色地は、当時なおそれが五二一九番(本件土地)であるとは確認できないままであつたため、公簿上所有者不明の土地として国有地と判断され、前記(一)のとおり同年一〇月一七日大蔵省名義で保存登記がされるに至つた。

(6) 原告らは、昭和四二年六月になつて右事実を知り、原告悦夫が、そのころ手に入れた本件土地の払下証書等の書類に基づき、同年七月、一〇月、更に昭和四三年二月と重ねて前記(一)のとおり国有地としての保存登記についての異議申立てをした。そこで、関東財務局宇都宮財務部は、原告悦夫から提出された右払下証書等の資料を調査したところ、原告らの申出に係る五二一九番の土地は、先に国の所有に属するとして大蔵省名義で保存登記をした三六七五番先の青色地であることが判明したので、翌昭和四三年四月二二日、右国有地である旨の保存登記を抹消した。他方、同年六月六日、原告藤一から本件土地の地番を公図上に表示するための地図訂正の申出が右法務局に対してされ、これが受理されて本件土地の公図上の所在が正式に確認し得ることとなつた。

(7) そこで、益子町は、改ためて本件土地を買収するため、原告らとの間で交渉を重ねたが、進展がみられないまま、前記(一)のとおり原告藤一からの訴訟の提起、同町からの被告に対する本件裁決の申請という経過をたどることとなつた。

(三)  前掲各証拠及び成立に争いのない乙第一号証の一ないし八、第五号証、第八号証によれば、

(1) 本件町民センターは、公民館及び児童館を中心にその附属施設であるプール、体育館及び野球場等を一箇所に集め、益子町における教育文化の一大センターとして町民の教養の向上、健康の増進及び情操の純化を図り、生活文化の振興、社会福祉の増進に寄与することを目的として建設されたものであること。

(2) 益子町においては、昭和四〇年当時人口は二万人余であつたが、従来公民館は非常に貧弱で町民の要望には応じられず、また、児童館等児童福祉施設及び総合的体育施設は全く存在せず、町民の福祉施設としては非常に立ちおくれた状態にあつたため、前記(1)の目的のもとに本件町民センターの建設事業の施行を必要とするものであつたこと。

(3) その敷地の選定にあたつては、広く町民の利用に供するため町の中央部にあること、交通の便が良いこと、また、地形的には体育施設等を建設する都合上まとまつた平たん地であることが条件として考慮され、ほぼ町の中央部に位置し、県道に面して交通の便もよく、山間地帯の益子町にあつては比較的平たん地帯であり、更に大部分が畑地であり、支障物件も少ない前記鍜治久保地内に町民センターを建設することが最も効果的であり、土地の適正かつ合理的な利用に寄与することになるとして同地域が選定されたこと。

(4) 益子町は、右のような事業計画のもとに、昭和四一年八月三〇日、本件町民センター建設事業の事業認定の申請を栃木県知事に提出し、同年一〇月一八日、右事業認定の、昭和四四年五月一三日、手続開始の各告示がされ、次いで同年六月一六日、土地調書及び物件調書が作成され、起業者である益子町から被告に対して本件裁決の申請がされたこと。

以上の各事実が認められる。

(四)  右(三)認定の事実によれば、本件町民センター建設事業が、公共用施設(法三条三二号)の建設事業であり、事業認定の要件(法二〇条)を充たし、直接に公共の利益にとつて有用であり、実益があるものであることは明らかである。他方、右(一)から(三)の各事実によれば、原告らの本件土地の所在を確認し得ないまま、結果的には、原告らの本件土地を無視して本件町民センターの建設工事を完成させてしまつたわけであるが、それまでの経過においては、相当の確認作業を講じたにもかかわらず、いまだ本件土地の権利関係の帰属を明らかにする資料を見出し得なかつた等の事情からしてやむを得ないものであつたといわざるを得ない。そして、他に、益子町と原告らとの交渉過程に特段の不法行為があつたことを認めるに足りる証拠はない。

そうすると、被告のした本件裁決は、右の本件裁決に至るまでの事情や本件事業完成後の裁決申請という事実のみをもつてして、これが益子町の不法行為を隠す目的で、法による本件土地の取上げを企図したのに協力したものとはとうてい認められず、名実ともに、本件町民センターの建設事業の維持継続を目的として、適法な手続を経た上で、本件土地をその事業の用に供することが土地の利用上適正かつ合理的なもの(法二条)としてされたものであると認めることができる。

本件裁決をもつて土地収用権の濫用と目すべき特段の事情につき、他に主張立証はない。

したがつて、原告らの請求原因二の2の主張は理由がない。

3  損失補償について

原告らの本件裁決による損失補償についての違法事由の主張の趣旨は、要するに補償額が低廉であるというに帰する。しかしながら、収用委員会の裁決事項のうち損失補償についての不服は、その裁決についての不服の理由とすることは許されず(法一三二条二項)、これを不服とする被収用者は起業者を被告として出訴すべきものである(法一三三条)。したがつて、補償金額の決定又は補償原因である損失の範囲に関する瑕疵は、裁決の取消しの事由には当たらないから、原告らの右主張はそれ自体失当である。

4  したがつて、本件裁決に原告ら主張の違法はない。

三  よつて、原告らの本訴請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 奥平守男 赤塚信雄 安間雅夫)

目録

一 収用する土地の区域

栃木県芳賀郡益子町大字益子地内字鍜治久保

地番 五二一九

地目 公簿上 畑、 現況宅地

地積 公簿上    二六平方メートル

実測 五六・〇七平方メートル

収用する土地の区域 五六・〇七平方メートル

二 損失の補償

土地所有者原告藤一に対して 金二万四九五一円

関係人原告悦夫に対して   なし

三 権利取得の時期及び明渡しの期限 昭和四四年一一月一〇日

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